パニック障害の対処法と私が治った体験記をこのブログで書いています!(パニック障害が治ったパニプニのブログ)

はじめに ブログについて
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私のパニック障害の発作がいきなり電車の中で始まりました。
それは楽しいウィンドウショッピングとお茶を友達とする約束の日でした。
パニック障害にまさかその時になるとは私は思いもよりません。
この日のこの時刻を境に私の心はパニック障害により大きく心をえぐられたのです。
当時は一生消えないかというトラウマが、予期不安を引き起こし、苦しい苦しい苦しい毎日が始まったのです。
思えば非常に疲労していた時でした。
家族のことや友達関係やアルバイトでただでさえ疲労困憊でした。
それでも気分転換しようと街へショッピングに行こうと思っていた時です。
楽しむ前に先に私の脳がダウンしてしまったようです。
急激に言い表しようがない不安感と恐怖感が突き上げてきて、「やばい!!」と思った瞬間、パニック発作が始まりました。
動悸が異常なほど激しく、急に息苦しくなり、目の前が真っ暗になりました。
息が吸えない!
必死で何とか酸素を取り込もうとするけれど、慌てれば慌てるほど過呼吸が激しくなるばかり。
立ってもいられなくなり、このままでは死ぬという恐怖に支配されました。
誰か助けて! 死ぬ死ぬ死ぬ!
その上吐き気や冷汗と悪寒、あらゆる苦しい症状に私は呑み込まれてしまいました。
なぜ今まで吸えていた空気を吸えなくなったのか理由もわからないまま、陸の上で私は溺れていました。
本当にパニックです。
必死で逃れようと焦れば焦るほど止まらないパニック症状!
このまま死ぬ、苦しい思いはずっと続きました。
あの時の苦しい恐怖の感情は忘れません。
この時以来、私の見る世界は真っ暗になりました。
何とか駅につき、このときのパニック発作はひとまず収まったものの、この恐怖体験により、私はこの死よりも苦しい体験をしてしまうんじゃないかっていう予期不安で毎日怯えて生きるようになりました。
またおきたらどうしよう、今度こそ死ぬかもしれない・・・・
死なないかもしれないけれど、あの苦しさは二度と味わいたくない・・・・
発作が起きて周りに迷惑をかけたらどうしよう・・・・
介抱してくれる人がいなかったらずっとあの苦しさと恐怖を味わうのかも・・・・
逃げ場がないところで発作が起きたら・・・・・
(救急車を何度も呼んでしまい)病因で何の異常もないと診断された時の申し訳無さと、一体なんなの?という頭の混乱・・・・
また救急車を呼んでしまったら申し訳ないという罪悪感と後ろめたさ・・・・
薬の副作用の苦しみ・・・・
外出恐怖症と乗り物恐怖症と広場恐怖症・・・・・
パニック障害の3年間はまさに地獄絵図でした。
症状だけじゃなく、人間関係も学生生活も社会人としての未来もすべてが真っ暗になっていきました。

今の私はパニック発作を起こしたくても起こせなくなりました。
パニック障害となる脳のメカニズムから解放されたようです。
特急も新幹線も飛行機も平気です。
呼吸も整っています。
薬の減薬、断薬も成功しました。
予期不安もどんどん遠のき、今では予期不安って?というぐらい不安感がなくなっています。
もちろん社会人としてちゃんと務めることができていますし、けっこう無理もきく体です。
ストレスフリーではないですが、ストレスが強くてもパニック発作につながることはない強さを持てました。
受け流し方を覚えたし、変に脳に余裕がある感じがします。

なぜ私がこうなれたのか?
パニック障害の対処法や克服の方法や克服にあたり必要なこと、薬に頼らず生活するためにやるべきことなど、私の体験を通して学んだことを、このブログで書いていきたいと思います。
克服を諦めて薬を飲み続けてどうにか発作が起きないように死の床につくまで付き合っていく道を選んだ人もいると思います。
今も外出が全くできずに引きこもってしまった人もいると思います。
芸能人のパニック障害の方たちのように、パニック障害に負けずに頑張っている人もいるでしょう。
何か治す方法はないか今も模索し続けている人もいるでしょう。
そんな人達に私の苦しい体験と克服できた成功体験が大きな突破口となることを祈っています。
パニック障害はどんな人でも治る症状です。
パニック障害になるのも色々なことの積み重ねでなっています。
克服するのもちゃんと方法があります。

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